20年のあゆみ
~更なる発展に向けて~
ジャパンエステート株式会社は2005年6月7日に設立され、正式に営業活動を開始したのは同年10月1日でした。取り扱う商品は「不動産」で、フィービジネスだけに特化した専門集団として産声を上げ、商売の主軸は仲介業務としました。
世間は未だバブル崩壊から長引く不況下にありましたが、銀行の不良債権処理が落ち着くとともに、米国で先行していた不動産の証券化の手法を取り入れた新しいタイプの不動産取引が市場では活発となっていました。当社はその流れを掴み取り、大きな頑張りの結果、税前純利益は、第1期722百万円、第2期1,214百万円、第3期は2,109百万円と、独立前の想像を遥かに上回る利益を計上することができました。
大阪事務所設立時
志を一つにする仲間たちは設立時、当社に9名、主要顧客の不動産ファンドF社に4名、アセットマネジメント業のT社に1名、A社に2名に分散して各々連携を図りながら業務に従事していました。
会社設立時メンバー
設立時の当社東京支店従事者1名で中央区銀座3丁目にある取引先事務所の一部を間借りしてスタートしました。
初代東京事務所
第3期における仲介手数料収入は2,747百万円、配当収入822百万円でどちらも今以て過去最高値です。
2008年9月、米国投資銀行の大手 リーマン・ブラザーズが史上最大規模で倒産し、翌日には米国保険最大手のAIGが破綻したという報道が世界中を駆け巡りました。当社の主要顧客だった不動産ファンドも次第に破綻し、一気に姿を消していきました。これにより、仲介手数料を全く稼げなくなり収入が途絶える事態となり、主要顧客の要請で投資をしていた匿名組合出資の多くが損失の憂き目にあい、絶好調だった第3期までの業績が幻想だったのかと思うくらいの存亡の危機を迎えることとなりました。税前純利益は、第4期▲743百万円、第5期▲34百万円、第6期12百万円、第7期13百万円という成績でした。
しかし、この苦境期において、当社の営業種目が大きく変化しました。
第3期までの好業績のうわさを頼って資金融通をして欲しいという依頼が来るようになり、共同事業者として事業資金を支出し最終利益の分配を得るというような案件を次々と熟し、このことがその後の不動産売買を軸とする業務転換にうまく繋がっていきました。
この期に購入した兵庫県加古川市の底地物件
当社では創業以来、社員のみなさんへお正月のお節料理を進呈する習わしがあります。
この苦境期にも途切れること無く続けてきました。我国全体が不況に見舞われ弊社の業績も大変悪かったときに、このお節料理の有り難みを身に沁みて痛感したことを懐かしく思い出します。
このリーマンショックの大不況という大嵐を社員一丸となって耐え抜いたことが、当社の大きな自信と底力になっていったと感じています。
2012年12月の衆議院議員選挙で政権復帰を果たした安倍首相は日本経済の再生に向け、3つの政策「三本の矢」を掲げ展開しました。
特に金融政策(量的緩和策)の恩恵を受け、当社の業績も息を吹き返すように回復していきました。
競争相手が少なくなったマーケットで積極的に物件を取得し、Jリート、財閥系の国内企業や国内大手ファンドを出口戦略としてエクイティ出資(物件購入)を繰り返し行ったことや、仲介業務以外の収入を得るために収益物件の購入を積極的に行った結果、税前純利益は、第8期96百万円、第9期262百万円、第10期865百万円,第11期1,140百万円、第12期1,321百万円、第13期895百万円、第14期2,161百万円、第15期1,620百万円と推移し完全に復活を遂げることができました。
この期にエクイティ出資を行った品川区の物件
組織としてリーマンショックを耐え抜いた結束力、耐久力、金融機関との取引が拡大し得た信用力等は決して目に見えるものではありませんが、社員と心ある親密な取引先と一緒になって掴んだ「貴重な無形の財産」だと実感するようになりました。
設立当初は時機をみてアーリーリタイアするぐらいのつもりでしたが、無形の財産を実感するようになってからは、この目に見えない大切なものを(会社を解散して)手放してしまうのは勿体ないと認識するようになり、ぜひ後世に残そうという思考(主義)に変わりました。
これを踏まえて大きく方針を転換し新卒社員や転職者の採用に踏み切り、その人数は今では全体の6割を超えるまでに増えました。
2017年度新入社員入社式
不動産売買を主軸とした業務が順調に拡大したことにより、第15期において初めて借入金が200億円を超過しました。これに伴い、会社法第2条に定めるところの大会社の適用を受けることとなり、翌期から会計監査人設置会社となりました。
また、この間、新しい仲間が増え、事業の領域が拡がり、手元資金の厚みが増し、総資産も300億円を超える規模となりました。
そして、本年5月には新しい免許として投資助言業の登録手続きが完了し、2026年には不動産特定共同事業法の特例事業に基づく第3号事業者の許可が下りる見込みとなっております。これらは業務領域をさらに大きく拡げていくことを企図しておりますので、2025年は当社にとっておそらく大きな変革が始まる年になると想像しています。
たった一人で門出をした東京事務所も今では人員数も増え2023年6月に東京本社へと改組するまで規模が大きくなり、本年9月には「日本橋フロント」ビルへの拡大移転が決定しています。
日本橋フロント
社員集合写真
世界で新型コロナウイルスの感染者数が急増し始めていた頃、当社は収益物件として情報を入手した大阪の北新地で2棟、ミナミで3棟のソシアルレジャービルの購入を検討していました。
社内外から否定的な意見もありましたので躊躇しましたが、最終的に2020年3月にこの5棟のビルを一括購入しました。
休業要請、自粛要請等の影響を受けて廃業するテナントの解約が相次ぎましたので稼働率の低下が危惧されましたが、このコロナ禍を逆にチャンスと捉えた出店希望者の数がそれを上回り、購入時よりも賃料水準、稼働率ともに上昇するという喜ばしい結果となりました。
新日本新地ビル東館